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2007年4月30日
北千住散歩[名所]槍かけの松と清亮寺
北千住駅西口、旧日光街道沿に千住名物「かどやの槍かけだんご」があります。備長炭であぶられたお団子はやわらかくて、地元ならずともファンが多いお団子ですよね。
その名の由来となった名松「槍かけの松」があったのが、清亮寺(せいりょうじ)です。
千住宿場町は、日光街道と下妻街道、水戸・佐倉街道への分かれ道でした。
日蓮宗の清亮寺、正式には久榮山清亮寺。
水戸街道の入り口であるこの場所に、建立されたのは1619年と言いますから、今から今から約390年前。
ご本堂は1833年に再建したもので、総欅造り。江戸期の建築様式を残している見事なものです。

ここに水戸街道に面して松の木がありました。
大名が行列をなして街道を行き来するさい、槍もちはどんな理由があろうとも槍を倒すことはゆるされないとされていました。
ところが、この松は街道いっぱいに張り出しています。となると、槍は横に倒さねばくぐることはできません。
では松を切るかとなった際に、水戸藩主・徳川光圀公が
"切るには惜しい名松なので、ここで休憩を取り槍を松に立てかけて、再び出立するときには槍もちが反対側に回ってから槍を持ち直せば、槍を倒したことにはならないだろう"
と仰り、松も切られずに済んだ、という逸話があるそうです。
水戸光圀公ゆかりとなったその松は、樹齢350年余りを迎えた昭和20年頃に、残念ながら枯れてしまったそうです。
が、その姿は清亮寺の山門をくぐったそばの石碑に、「槍かけの松」にまつわる話と共に写真が刻まれています。この写真は関東大震災以前に撮られた貴重なものです。
ぜひ清亮寺に行かれた際は、当時の槍かけの松の姿と、水戸街道行き来する大名行列をちょっと想像してみてくださいね。
なお境内には解剖人墓が残っています。
こちらは明治始め医学発展のため、小塚原の刑場で処刑された罪人を回向院で読経し、ここ清亮寺に運び腑分け(解剖)したそうで、その供養をしたものです。
槍かけの松と清亮寺
- 住所
- 東京都足立区千住日の出町42-1 【地図】
- アクセス
- 北千住駅西口および東口から徒歩10分、東武線のガード脇。山門隣には清亮寺が運営するたちばな幼稚園があります
- Tel
- 03-3881-7910
投稿者 ayumi|2007年4月30日 17:40